ポルノグラフィおよび創作物の普及と「コケットリー」戦略の変容―性的搾取概念の再検討に向けた一考察

序論:性的搾取概念の揺曳と新たな分析視角の必要性

近年、フェミニズム圏において「性的搾取」という概念が強調される一方、その概念が包含する範囲は曖昧なまま拡張しつつある。本稿では、その背後に潜む可能的契機として、ポルノグラフィや二次創作等の「代替的性表象」の普及が、伝統的に女性が社会的交渉の場で用いてきた戦術的資源、すなわちG.ジンメル(Georg Simmel)の言う「コケットリー(koketterie)」の機能を弱めている点に着目する。

ジンメルが指摘したように、近代社会における女性は、直接的強制力を持たない代わりに、優位性を確保する媒介として「逡巡」「遅延」「曖昧化」を含む独特の遊戯形式――すなわちコケットリー――を行使し、男性の欲望を惹起しつつ制御するという非対称的関係を形成してきた¹。しかし、代替的性表象の増大は、実在女性が担っていた「希少性」を相対化し、男性が女性に「接近する際のコスト」を大幅に引き下げている。このことは、従来のコケットリーが成立させていた交渉上の優位性を減衰させ、女性にとっての「男から得られたはずの利益の逸失」として経験されうる。

本稿は、こうした行動経済学的・社会学的構造変動が、「性的搾取」概念の拡張的運用と結びついている可能性を理論的に検討するものである。


ジンメルのコケットリー概念と性別間の非対称的交渉構造

ジンメルは「コケットリー」を、女性が男性の欲望を喚起しながらも、その欲望充足を遅延させることで自らの優位性を確保する戦術とした²。この遅延・曖昧化は、社会的権力の形式として作用し、「承諾」と「拒否」の境界を揺曳させることで、男性側に継続的投資を誘発するメカニズムであった。

このモデルを契約理論および交渉理論に接続すれば、以下のように整理できる。

  • 男性の欲求は高いが、接触コストも高い。
  • 女性は欲求充足の鍵を握ることで交渉力を持つ。
  • 不確実性(混合戦略的曖昧性)が女性の支配力を強化する。

この不確実性そのものが資源として機能していた点は、現代の「同意」概念の硬直化とは質的に異なるものである。


代替的性表象の普及と交渉力のシフト

インターネットと創作文化の隆盛により、性的欲求の充足は「実在女性を必要としない形」で実現可能になった。ポルノ、二次創作、キャラクター消費、AI生成画像など、多様な代替的手段が登場し、以下のような構造変動が生じている。

  1. 接触コストの急激な低下
     実在女性を介さずとも欲求充足が可能になることで、男性にとって女性との接触は必須条件でなくなる。
  2. 女性の希少資源性の相対的低下
     ジンメル的コケットリーは、希少資源としての女性身体を前提としていたが、この前提が崩れつつある。
  3. 交渉上の優位性の女性側からの離脱
     男性が交渉の外部選択肢(outside option)を持つことで、女性の提示する条件が交渉上の決定力を失う。

ここで重要なのは、女性の一部にとって、この構造変動が「経済的・社会的利益の逸失」として可視化される可能性である点である。すなわち、「本来得られたはずの男からの投資(attention, affection, resources)が、代替手段によって逸失した」と認識されることが、新たな「搾取」の語彙化を推進している可能性がある。


「性的搾取」の拡張的運用と逸失利益としての解釈

今日の議論における「性的搾取」概念の用法には、従来の暴力・強制・権力関係の分析にとどまらず、「男性が女性を必要としない状況」自体が搾取とみなされる傾向が存在する。この傾向は、以下の思想的構造を含んでいると考えられる。

  • A)男性が女性を必要としない状況は、女性への経済的・情緒的投資の減少を意味する。
  • B)この投資減少は、女性が歴史的に有してきたコケットリーによる交渉上の潜在的利益の逸失を意味する。
  • C)利益の逸失が女性側の「損失」として認識されると、外部手段を「女性から利益を奪う装置=搾取的」と表現しうる。

このように「性的搾取」概念が、実際の被害ではなく「市場構造変動による交渉力の低下」を指し示す語として用いられる局面は、現代の議論において看過しがたい。


歴史的アナロジー:表現規制は弱者保護から権力強化へ転化しうる

本稿の趣旨は規制論争そのものではないが、代替的性表象を標的とする言説が、しばしば「女性の保護」を名目にしつつも、最終的には国家による表現統制へ転化しやすい点は、戦前の日本および欧米の事例が示している³。

近代日本における出版物統制は、当初は「風紀・道徳の保護」が名目であった。しかし、1920年代後半からの治安維持法体制においては、性・風紀を理由とする取締りの枠組みが、徐々に政治表現・報道統制に流用されていったことが歴史的に確認されている⁴。
この構造は現代にも適用可能であり、「女性保護」を根拠とした表現規制の推進が、女性自身にとっても政治的に不利益な言論統制を招く可能性がある。


結語:性的搾取概念の再精査と、コケットリーの衰退が生む認識論的誤配

本稿では、ポルノや創作物などの代替的性表象が普及することで、ジンメル的コケットリーを通じて成立していた女性側の交渉上の優位性が弱まり、それが「逸失利益」として体感される可能性を指摘した。この構造が、性的搾取概念の拡張やポルノ規制言説の高揚と結びついているという視角は、従来のフェミニズム研究およびカルチュラル・スタディーズにおいて十分に検討されてこなかった。

同時に、表現物を標的とした規制が、歴史的にしばしば国家権力により政治的統制へ転用されてきた事実⁵を鑑みるなら、代替的性表象の排除は、必ずしも女性の利益に資するとは限らない。むしろ、女性の交渉力の再基盤化を、市場構造の変動を前提として再考する必要がある。


脚注

  1. Georg Simmel, Soziologie (1908), 特に「男女関係の社会学」におけるコケットリー分析。
  2. 同上。ジンメルはコケットリーを「承諾と拒絶の中間を揺れ動く遊戯的形態」と定義する。
  3. 例えば、欧米ではComstock Laws(1873年)が「風紀保護」を名目に、政治的・社会的急進思想の出版物の抑圧に利用された事例がある。
  4. 中野目徹『治安維持法体制の歴史社会学』岩波書店、2011年。
  5. 表現規制が道徳的名目から政治統制に転化する現象については、John Stuart Mill, On Liberty(1859)の古典的警告がある。

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